ケンチク者

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東北 津波被災地のその後調査
 
5月に引き続き再度東北の津波被災エリアへ、被災建物がその後どうなっているか、現状の調査に行ってきた。
報道などではかなり復興した様子が伺えたが実際はどうなのか、最も気になるのはまだまだ使用可能であると思われた建物がその後どうなったか、ガレキや大破した車などはどうなったのか、である。

現実はあまりにも進みが遅いように思われた。
明らかに当時と違うのは、町に散らばっていたガレキの量と、建って残っていた建物の数。
ガレキは撤去され集められて、大きな海沿いの公園などに山積みされ10mもの高さになっていた。
車も一所に集められ積み上げられている。
外壁が流失し骨だけになった鉄骨造の建物、古い鉄筋コンクリート造で内部が壊滅的な被害を受けた建物、かなりの数が取り壊され無くなっていた。
俺が前回5月に調査した建物も無くなっているものが多数あった。

南三陸町では、大規模な地盤沈下と津波による洗掘により、基礎が露出していた建物の廻りが、ガレキなどで埋め立てられ、地面になっていた事が最も衝撃だった。
これで後は建物の中を全てキレイにして、設備類を改修すれば元通り住めるようになる。
問題は、それだけの被害を受けた建物に、次に何か大きな地震などがあって津波がまた襲来したらまた同じことになる、ということを承知でも住む人が居るのかどうかだ。
津波被害を受けた建物の復旧は可能だが、その辺の住む側の心理的な問題は付きまとうことになるだろう。
それでも構造躯体が全く被害を受けていない、鉄筋コンクリート造の建物を取り壊して更地にし、もう一度建てるのか、それとも広場にでもするのか、土地の所有者の問題と、建築制限のかかった地域と、新たにより安全な津波避難ビルなどを造りたい行政と、様々な思惑と権利とが複雑に絡み合って、どうにも色々とややこしいことになっているように思う。

ガレキにしても、何処にどう処分するのか、地盤沈下して海中に没したところを埋め立てるのに使うのも有効に思うが、ガレキが十分に密な地盤になり、建物を建てられるようになるには、多少時間がかかるようにも思うし、焼却するにしても木片と鉄などの金属類とプラスチックや樹脂製品などの分別も必要だが、その手間たるや相当なものに思えるし、当然現地だけでは処理しきれないので、東京へ輸送して処分、と言うことになったのだろうし。
いずれにせよ、完全に町が元通りになるには、まだまだ時間が必要だ、と言う事だ。

また今回訪れて思ったのは町によって、また町の中でも進み具合があまりにも違う事だ。
気仙沼ではまだほとんど5月時点のままの地区もあれば、魚市場は復興して漁船が着き荷揚げされていると町の中でも様相は様々だ。

すっかり津波の被害の現状が報道されなくなってきてるけど、現実はまだまだ先の長い話になる事だけは間違いないし、それには当然金もかかる訳だ。
某電力会社の例のアレの話しも合わさって、よりややこしいことになっている事もまた事実だし、ホントに先が見えない。

俺たち建築家にはナニが出来て、ナニをどうすればいいのか、ホントに真剣に考えなきゃいけないんだと思う。
大御所の人たちが、ロクに被災地も見ずに訳の分からん夢物語を描いたり、口だけでものを言ったりしてるが、どうにもピント外れな感じを受ける事も多々ある。

そんな中でも夕陽はきれい。
南三陸町に沈む秋の夕陽。
大破した車の向こうに日が沈む。


志津川湾の向かいの山のむこうに日が沈む。
海は平穏で波に夕陽がきらめく。


ちなみに放射線量は0.08マイクロシーベルトくらいでした。

復興を願って。
kissh
| kissh | 建築 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
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